言葉にできなかった違和感が、あとから残り続けた理由

最近のことです。
現場で、後輩の職員が、知的障害のある利用者に対して
「約束覚えていますか?」
「何度言ったら分かりますか」
と、少し強い口調で問いかけている場面がありました。

特別な出来事ではありません。
声を荒げていたわけでもなく、明らかに間違っているとも言い切れない。
でも、その言葉を聞いた瞬間、
その利用者の理解の仕方や力を思うと、
少し難しい言葉を投げているように感じました。

ただ、その場で何かを言うことはしませんでした。
その職員と利用者には、これまで積み重ねてきた関係があります。
外から見ただけで口を出すのは違う気もしました。

自分には、こう言い聞かせていました。
「これは個人の問題じゃない」
「虐待につながらないように、チーム全体で考えるべきことだ」

そうやって、その場では考えるのをやめました。


でも、あとから、その場面が何度も頭に戻ってきます。
すぐに答えが出るわけでもなく、
「やっぱり間違っていた」と断言できるわけでもない。

頭の中で、何度か言葉にしようとしました。

「その言い方は、利用者に合っていないかもしれない」
「問いかけ自体が、理解の力を超えている気がする」

そう言おうとして、どれも途中で止まりました。
強すぎる気もするし、正確でもない気がしたからです。

何より、
それを口にした瞬間、
「じゃあ、代わりにどうすればよかったのか」
という問いが、自分に返ってくるのが分かっていました。

自分は、その場で完璧な言葉を持っていませんでした。
利用者にとって何が最善だったのかも、
後輩の関わりが本当に間違っていたのかも、
正直、断言できなかった。

だから、言葉にしなかった。
説明できないまま、
「チームで考えるべきこと」という形に逃がしました。

今も、その判断が正しかったのかは分かりません。
ただ、あのとき言葉にできなかった違和感は、
時間が経っても、消えることなく残っています。

誰のための支援なのか。
利用者に寄り添うとは、どういうことなのか。

答えは、まだ出ていません。


迷ったときは、
経験と思考を並べている場所に、戻ってもらえたらと思います。

プログラム|経験と思考の整理

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